とっきー&なっきー「旅の思い出日誌」

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京都旅行12(歴史紹介)血天井の物語

(血塗られた悲しい歴史、京都の血天井寺院)

「士は 己を知るもののために 死す」

そこには、サムライの勇猛さがあった。そして何より、主従を超えた忠誠心があった。

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画像出典:宝泉院公式サイトより引用

http://www.hosenin.net/

鳥居元忠此処に死す

時は戦国、風雲急を告げる。今まさに、西軍、東軍の天下分け目の戦いが始まろうとしている。会津征伐に出かけた徳川家康の留守をつき、伏見城に集結する石田三成軍、なんとその数4万。対して、鳥居元忠を大将に仰ぐ徳川軍、城を守る城兵の数、僅かに1800。どう見ても、勝ち目のない戦である。しかし、守る城兵の一人一人は、既にこの事は、承知の上である。最初から、今日此処で、うち果てる事をわかって、決戦に臨んでいる。もとより、死は、覚悟の上である。しかも、彼らに課せられた役目は、それだけでは無い。会津征伐に出かけている、徳川家康がこの報を聞き、引き返してくるまでの、時間稼ぎである。故に、早々に討ち死にする事は、許されていない。最後の一兵まで戦い、その命尽きるまで、主君徳川家康の為、時間をかける戦術である。自ら徳川家の礎となり、死を覚悟して戦に臨む将兵たちの、なんと潔い事か。もはや、覚悟を整えた彼らの脳裏にある言葉は「武士たる者 己の価値をわかってくれる主君のためにこそ 死をもって奉公するものなり」「これこそまさに、武士の本懐なり!」

血天井寺院

伏見城の戦いでは、多くの城兵の血が床板に染み付いていました。儚く散って行った彼らの菩提を弔うために、京都の多くの寺院に、血の付いた床板が持ち込まれました。しかし、そのまま床板に使用したのでは、多くの人に踏みつけられてしまいます。それでは、彼らに対して申し訳ないと言う事で、寺院の天井として使う事になりました。いくつか、京都の代表的な寺院を紹介しておきます。

養源院

京都市東山区三十三間堂廻り町656

拝観料 500円

源光庵

京都市北区鷹峰北鷹峰町47

拝観料 400円

正傳寺

京都市北区西賀茂北鎮守菴町72

拝観料300円

宝泉院

京都市左京区大原勝林院町187

拝観料 800円(菓子と抹茶付)

妙心寺天球院

京都市右京区花園妙心寺町46

拝観料 500円

 

鳥居元忠と家康

元忠は、家康がまだ今川家の人質で竹千代と呼ばれていた頃からの、家臣でした。長年苦楽を共にし、家康からの信任の厚い家臣の一人です。下克上の戦国時代において、今回の様に、決して簡単に敵に寝返る事なく、また、命を惜しまず、少しでも時間稼ぎを実行できる忠臣は、元忠をおいて、他には居ないとの判断でした。

家康が、会津征伐に出発する前、伏見城で元忠と酒を酌み交わしました。家康は、断腸の思いで、元忠へ伏見城にとどまる事を頼みます。そして、少しでも、多くの兵を残していってやりたいが、3000の兵しか残していけない事を、元忠に詫びます。すると元忠は、失う命は少ない方が良いと、この申し出を断りました。

この夜は、遅くまで、二人で酒を飲み明かしたそうです。

元忠の思いとしては、長年の夢であった、徳川の天下統一をこの目で見ることの出来ない、歯がゆさがあったでしょう。それでいて、天下を分ける大事な一戦の中で、最も信用できる部下にしか任せられない大役を仰せつかった、武士としての誉れとが、交錯した事でしょう。

これが「三河武士の鑑」と賞賛された、鳥居元忠の生涯です。

 

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