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国宝「平等院鳳凰堂」華麗なる一族

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こんにちは「とっきー」です。

今回は、日本で最も美しい建築物「平等院鳳凰堂」と、華麗なる一族の紹介です。

 

平成の大修理

2014年に終了した、約60年ぶりの修復工事により、現在の鳳凰堂は、創建当時の見事な色彩を取り戻しています。ただ、鳳凰堂内部の修復工事は続いており、現在は拝観出来ません。今年の11月中旬には、鳳凰堂内部の拝観が再開される予定です。それまでは、生まれ変わった外部拝観をお楽しみください。

 

「宇治」という地

京都から少し離れた「宇治」と言う土地は、山科の様に平安貴族達の別荘地でした。794年に平安遷都が行われ、政治の中心は京都に移りました。京都にほど近く、緩やかな山や美しい川の流れる「宇治」の地が、優雅な歌を嗜む貴族達に愛されました。どこか、嵐山にも似たこの地を舞台に「宇治十帖」などの有名な源氏物語の一節も誕生しました。

 

平安文化

皆さん、平安文化と聞いて、何を思い浮かべますか?おそらく多くの方が、雅な貴族文化だと思います。その代表格が、清少納言の「枕草子」であったり、紫式部の「源氏物語」であろうと思います。

ズバリ、この「平等院」と深く関わっている人物こそ、「枕草子」や「源氏物語」の生みの親ともいえます。

 

華麗なる一族と平等院

www.herumusuree.work

平等院の創建は1052年に藤原頼道によるとされています。そう、あの日本のロスチャイルドと呼ばれた、藤原一族です。元々、平等院が立っている土地は、頼道の父である藤原道長の別荘地でした。藤原道長と言えば「この世おば、我が世とぞ思う望月の、欠けたることも、なしと思えば」の歌で有名な方ですよね。645年のクーデターで政権奪取に関わった中臣鎌足を祖とする藤原一族。その最も絶頂に立ったのが、この藤原道長です。彼は、藤原兼家の五男であり、藤原道長の姪が藤原定子であり、藤原定子に仕えていたのが、清少納言です。また、藤原道長の娘が藤原彰子であり、藤原彰子に仕えていたのが、紫式部です。このように、藤原道長を中心に、清少納言、紫式部、平等院などが、密接に絡みあった平安中期でした。

 

最後に手に入れたかったもの

華麗なる一族が、最後に手に入れたかったものが、「極楽往生」でした。様々な、陰謀や謀略により手に入れた地位。それを守るために繰り広げられた、同じ一族同士の戦い。多くの人間を失脚に追いやり、様々な恨みや妬みが渦巻いた事でしょう。そんな、全てを手に入れた彼らが、最後に臨んだのが、「極楽浄土」でした。当然、今のままでは、極楽浄土などに行けるはずもなく、この世でも、あの世でも栄達を手に入れる為、これだけの寺院を建立して、「阿弥陀佛」に極楽往生をすがった訳です。

 

世界遺産「平等院鳳凰堂」

この様な、様々な人間模様の末、誕生した平等院ですが、10円玉にも描かれている、とても美しい世界遺産にふさわしい建築物です。左右対象の鳳凰が翼を広げた様な姿は、私達を魅了してやみません。是非一度、生まれ変わった「平等院鳳凰堂」を、美しい姿の時に見に行きましょう。また、YouTube「旅の思い出日誌」でも、この美しい世界遺産「平等院鳳凰堂」の映像をお届けします。

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