北野天満宮「菅原道真」天神様
こんにちは「とっきー」です。
本日ご紹介するのは「北野天満宮」です。
「北野天満宮」は、別名「天神様」とも呼ばれています。実は、私もそうだったのですが、天満宮を天神様と呼ぶ事は知りませんでした。「太宰府天満宮」が、「菅原道真公」を祀っているので、天満宮=菅原道真だとは認識していましたが。
菅原道真公
「菅原道真公」は、言わずと知れた「学問の神様」ですよね。受験生の皆さんには、頼りになるアニキ的な存在です。しかし、知っているのはその程度です。
道真公は、平安時代前期845年の生まれです。
左大臣に次ぐ官職の右大臣にまで上り詰めました。彼の出身が公家の中流階級であった事を思えば、これは異例の大出世だった様です。
道真公が非常に優秀な人材であった為、その時の天皇である「宇多天皇」の厚い信任を受け、ブレーンに取り立てられた様です。
太宰員外帥
時代は進み、「宇多天皇」から「醍醐天皇」の時代へと変わりました。醍醐天皇の時代でも、出世を重ねた道真公は、左大臣の藤原時平と共に右大臣の官位に就き、醍醐天皇の世を支えました。しかし、901年に太宰員外帥に任ぜられ、時の政権から左遷されました。その2年後の903年に59歳の生涯を閉じたのです。
道真公と梅
太宰員外帥に任ぜられた道真公が詠んだ和歌です。
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな」
春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ梅の花よ。私がいなくても、春を忘れないでいておくれ。
道真公は、梅がお好きであった様です。
写真は、北野天満宮で正月の縁起物として授与される大福梅を干しているところです。
北野天満宮の大福梅は、北野天満宮の梅苑で採れた梅を境内で干し、6個を包み、お正月にいただく習わしです。
北野と天神信仰
北野は京都の天門に当たります。天門とは、陰陽道で、魑魅魍魎などが出入りする北西を指しています。この天門に当たる北野を鎮めるために、元々古くから地主神である、火雷神が祀られていました。
道真公の死後、彼の霊魂を鎮めるために、北野の地に祠を建立した事から、古くからあった火雷神と結びつき、天神様として信仰される様になりました。
次回は、日本三大怨霊と呼ばれる様になった「菅原道真公」についてレポートしていきます。動画と併せてご覧下さい。
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